◆◆◆◆◆封印の間に、地の底から湧き上がるような重低音が響き渡る。大地の脈動が、異能の呼応に応えるかのように、威圧的な震動を空気に伝えていた。カイルとレオニスが向かい合い、無言のまま両手を掲げる。二人の掌の間に、光の粒が集まり始めた。レオニスの身体から放たれる膨大な異能――それはまるで星の爆ぜるような煌めきで、空間すらも焼き尽くしそうなほどに強く、激しい。その暴走を、カイルの異能が静かに、しかし力強く制御する。彼の魔力が、レオニスの力に優しく輪郭を与え、流れを整え、均衡をもたらしていく。二人の足元に光が満ち、やがてそれはゆっくりと広がり、神秘的な魔法陣を描き始める。繊細な幾何学の紋様が次々と浮かび上がり、宙に舞う光環がいくつも重なっていく。中心から放たれた輝きが層を増しながら天井へと伸び、まるで天へ至る光の塔のように立ち現れた。一陣の風が吹き抜ける。誰も息を呑み、その場から動けなかった。ただ、光と力の織りなす壮麗な光景に目を奪われていた。地脈の鼓動が最高潮に達した瞬間、魔法陣の中心が音もなく裂ける。そこに現れたのは、眩い光の門だった。それは、はるか遠く――遥と直人が召喚された“元の世界”と通じる、異世界への扉。直人は、その安定したゲートを見つめながら小さく呟いた。「……魔法陣がすごく安定してる。これなら、君も戻れるかもしれない、遥」そう言って、遥へと手を伸ばす。「一緒に帰らないか? もう十分頑張ったろ」遥は瞳を伏せ、わずかに揺らす。少しの間ののち、静かに首を横に振った。「……ごめん。俺は……ここに残る」直人が目を見開く。遥の視線は、まっすぐにコナリーへと向けられていた。黙って佇む騎士と視線が合い、遥は小さく頷く。「大切な人がいるんだ。俺の“帰る場所”は、もう――あっちじゃない」直人は、ふっと肩をすくめて笑った。「そっか。……じゃあ、"妖精の涙"の起動は君に任せるよ」「え?」「俺があちらの世界に消えたら、"妖精の涙"にキスして。聖女のキスで起動するなんて、ゲーム世界っぽくて、いいだろ?」遥は苦笑しながら頷き、そっとコナリーの隣へ歩み寄る。コナリーの胸には“妖精の涙”が揺れていた。その時、レオニスが高らかに声を上げた。「――直人、繋がった! あの時間、あの場所に!」直人は、何かを確かめるように魔法陣
◆◆◆◆◆石の扉が、音もなく開いた。そこは、空気すら静止したような、深く沈んだ空間だった。地下深く、地脈の魔力が脈打つ神殿の最下層。広間の中央に佇むのは、ふたつの石像。堂々たる威厳と気高さを宿す若き王と、中性的な気配を漂わせる青年。――始まりの異能王、レオニス・ド・ルミエール――始まりの聖女、相馬直人「……ここが、封印の地……」遥は、ぽつりと呟いた。そして、そっとカイルの腕から降りると、静かに石像を見つめた。その目に、ノエルの屋敷の地下で見た幻が重なるように浮かび上がった。かつて見た“始まりの異能王と聖女”の記憶が、静かに重なってゆく。◆地下最深部、結界の中心。王と聖女は並んで立っていた。足元に浮かぶ無数の魔法陣が光を放ち、教会の詠唱が低く響く。空間全体が、古代語の呪に染められていく。聖女・直人は王の隣で微笑んだ。「また、いつか……この国が、俺たちを必要としてくれたら」「……きっと、誰かがこの扉を開いてくれる。俺はそれを信じてる」レオニスは、その声に静かに頷いた。封印の光がふたりを包み込み、魂ごと静かに凍らせていく。かすかに触れ合った指先。言葉にしなかった願い。――こうして、異能王とその聖女は、石の中に眠りについた。◆「……見える……」遥は、石像に近づき、床に刻まれた封印の魔法陣を見つめた。そこには、聖女にしか読めない光の文字が浮かんでいた。『……聖なる光よ、黄昏に囚われし魂を……いま、目覚めの地へと導き給え……』レオニスが、未来の聖女に託して刻んだ封印解除の呪文――遥は指先でそっと文字をなぞり、その言葉を静かに口にした。コナリーたちは警戒をにじませながらも、遥の意志を信じ、黙って従った。「……聖なる光よ、黄昏に囚われし魂を……いま、目覚めの地へと導き給え……」ふわりと光が広がり、石像を包む。封印の紋が淡く脈動し、絡みついていた封の光が一筋ずつ解けていく。やがて――石が剥がれ落ちるように崩れ、ふたりの姿が現れた。まず、白衣の聖女・直人が瞼を開き、続けて、冠を戴く若き王・レオニスが静かに息を吸い込んだ。長い眠りから目覚めたその眼差しは、理知的にして深く、どこか遠くを見つめているようだった。直人の視線が、遥に向けられ、わずかに揺れる。「……日本人……?」それは、半信半疑の呟きだった。
◆◆◆◆◆戦いの終わった神殿の一室には、静寂が戻っていた。アドリアンの死。剣を下ろした兵たち。言葉にできない余韻だけが、冷たい石床に残されている。その中で、遥はただ一人、砕けた指輪の破片を見つめていた。手の中にあるのは、淡く鈍い光を宿す小さな欠片。何度も命を救ってくれたもの。そして――アーシェの魂が封じられていたもの。「……ありがとう」そっと呟いた遥の声に、誰も言葉を返さなかった。ただ、すぐそばに立つカイルだけが、視線を遥に落とす。銀の髪が静かに揺れる。感情を見せないその瞳に、微かに影が差した。「アーシェは、俺の弟だ」静かな声だった。「……分かってる。あなたが、カイルなんだね」遥はそっと頷き、指輪の欠片を見せる。「この中に、彼の声が残ってた。――ずっと、あなたに会いたがってた。兄さんを、目覚めさせてって……それだけを願ってた」指輪から伝わった数々の記憶。痛みも、孤独も、そして最後の望みも――全部、知っている。カイルはしばらく何も言わなかった。けれど、ほんの一瞬だけ、目を伏せる。「……アーシェを、連れてきてくれてありがとう」その言葉は、まるで祈りのように響いた。静かで、重く、そして確かに――優しかった。遥は思わず目を伏せる。そのとき、微かに空気が震えた。――恩返しを。誰かの声が、遥の胸に響いた。アーシェのものだ。もうこの世にはいないはずの魂が、欠片のどこかにまだ宿っているように。カイルの目が、遥に向く。「……願いを言え。君の望みを」淡々とした声だったが、それは命令ではなく、真摯な問いだった。遥は、少しだけ迷ったあとで、はっきりと答える。「――始まりの異能王と、聖女に会いたい」カイルはゆっくりと頷いた。「分かった」そして、ためらいもなく、カイルは遥の身体を両腕で抱き上げた。「わっ……ちょ、ちょっと……!」驚いた遥が声を上げたが、カイルはまるで気にした様子もなく、静かに歩を進める。(あれ……?)抱き上げられた腕の中で、遥はふと違和感を覚える。アーシェとカイルは、記憶の中では少年の姿だったはずだ。それなのに――抱かれている腕はしっかりしていて、青年としか思えない体躯。強引に持ち上げられたというより、自然に包み込まれるような感覚だった。「異能って……万能かよ……」思わず小さく呟
◆◆◆◆◆空気が、変わった。復活したカイルの存在そのものが、空間に歪みをもたらしていた。静かに立つだけで、そこに満ちる異能が周囲を圧倒する。ルイスはその気に膝を折りながらも、必死に呼吸を整え、意識を保っていた。だが隣で、アドリアンの様子が明らかにおかしい。「……はははっ!これが……俺の真の力か!」ぶるぶると震える指先が、弓を再び構える。その矢先は――ルイスに向けられていた。「ルイス……お前さえ、いなければ……っ!」目は血走り、喉の奥から絞り出すように呪詛が溢れる。「正妻の子で、血筋も良い。俺より優れていると、皆が言った。だが父上は……俺の母を愛した。側室である母を、誰よりも愛した!」目の奥に浮かぶのは、焼き付いたままの過去。「だからこそ、俺は選ばれたんだ! 臣下たちの反対を押し切って、王太子にされたんだ! そのはずだったのに……っ!」アドリアンの体が震える。「……俺が魔王討伐に行ったのに! 俺が命を懸けたのに! お前は何もしていない! 舞踏会で、俺の功績を暴かれ、父から謹慎を言い渡されて――その隙に、またお前が……!」怒りと嫉妬と焦燥が、怒涛のように言葉となって溢れ出す。「お前さえいなければ……! 父上の目は再び俺に戻る! 王国も、王位も、すべて俺のものだ!」「ルイス! そしてあの聖女も、騎士も! お前に味方する全てが邪魔だ――!」にじむ涙か、ただ狂気か。アドリアンの顔は、もはや人のそれではなかった。「……ずっと……ずっと、憎かった……!」矢が、放たれる。魔力を帯びた一閃は、真っ直ぐにルイスの胸を狙っていた。「ルイス、逃げて!!」遥の叫びが、空間を裂くように響いた。だがルイスは動けなかった。恐怖ではなかった。ただ、あまりに剥き出しの憎悪を真正面から受けて、呆然とその場に立ち尽くしていた。そのとき――空間が、歪んだ。まるで水面に石を落としたような波紋が、アドリアンとルイスの間に広がる。放たれた魔法の矢が、突如としてその歪みに吸い込まれ、かき消された。そして――何もなかった空間が、ふっと裂けた。アドリアンの背後。その空間に、さきほど飲み込まれたはずの矢が姿を現す。矢は迷いなく彼の背を貫き、そのまま胸元へ突き抜けた。「……え……?」己の放った矢が、己の身体を穿つ――その現実を、アドリアンの思考
◆◆◆◆◆神殿の奥へと足を踏み入れた瞬間、空気がまた一変した。静寂。風ひとつ吹かないのに、耳鳴りのような音がする。まるで、時そのものが止まってしまったかのような錯覚すら覚える。足元は静かに整えられた石床。苔も崩れもない。けれど、異様な静けさが空間全体を支配していた。やがて、通路の先が開ける。そこに広がっていたのは、天井の高い巨大な空間だった。闇に沈むその場所には、無数の石像が無造作に立ち並んでいた。どれも人の姿をしており、衣は王族の格式を思わせる。足元には、封印のための魔法陣が刻まれている。「……これは……」ルイスが、息を呑んだ。それらの像は、かつての王族たち――異能を持ち、生まれながらにして“特別”であったがゆえに、同じ王族の手で封印された者たち。王国の長い歴史の陰で、決して語られることのなかった、“血の継承”の代償。ルイスにとって、それは遠い祖先であり、同時に彼自身の未来に繋がるものだった。沈黙の中で、遥はルイスにそっと声をかける。「……ルイス」苦しげに伏せられた目が、ほんの少しだけ持ち上がる。「大丈夫だ」その声は、平静を装いながらも、わずかに震えていた。「この中に……アーシェの兄がいるのか?」遥は無言で頷き、指輪を見下ろした。「教えて、アーシェ」囁くように語りかけると、指輪が静かに光を放ち、その光はゆっくりと空間の片隅――地下へと続く階段を照らし出した。「下に……いるみたい」そう言って、遥は先導するように階段を降りていく。ルイス、コナリー、ノエルがそれに続いた。下へ、さらに下へ。冷気の中に、静かに鼓動するような魔力の波が漂っている。足音だけが、空間に淡く響いた。やがて、広間の扉が現れる。その扉を押し開いた瞬間、遥の指輪が脈打つように輝いた。目の前には、ただ一体の石像が立っていた。それまでに見てきた石化された王族たちとは、明らかに何かが違っていた。――封印が、重い。まるで、強大な異能を封じ込めるために、幾重にも魔法が重ねられたかのように。石の表面には複雑な封印術式が何層にも刻まれ、魔力の鎖が幾重にも絡みついている。けれど、それでもなお。その石像は、どこか、寂しげだった。静かにうつむくその表情には、怒りはない。あるのはただ、深い眠りの中に取り残された者の――悲しみに似た、静けさだった
◆◆◆◆◆魔王領に足を踏み入れた途端、空気が変わった。木々の枝は不自然にねじれ、吐き出される風には腐臭が混じっていた。濃い霧が地面を這い、日差しは届かず、空がどこにあるのかも曖昧になるほどだった。「……油断するな。何かいる」ルイスが手を挙げて全員を止めた瞬間だった。「来る――!」コナリーの声と同時に、茂みからぬらりと姿を現した魔物が突進してくる。四肢は異常に長く、鱗に覆われた肌が不気味な光を放っていた。「前へ!」ルイスが剣を抜き、馬から飛び降りる。鋭く振るわれた剣が魔物の前脚を断ち切る。だが、背後からもう一体――「っ……ルイス!」遥の声が届く前に、銀色の騎士がすでに動いていた。コナリーの剣が、斜めから襲いかかる魔物の喉元を断ち切る。だが――「くっ……!」一瞬、彼の右手が止まった。剣を強く握れず、動きが鈍る。「コナリー!」遥が叫ぶ。彼は今にも倒れそうな騎士の姿に、衝動のように手を伸ばした。「お願い……!」遥の指に嵌められた指輪が淡く光を放ち始めた。光は、まるで祈りのようにコナリーに届く。彼の右腕に走っていた疼痛が、ふっと引いた。「……遥」一言だけ呟いたコナリーは、息を整えると剣を握り直す。「行けます」その声と共に、彼の身体が宙を駆ける。鋭く切り裂かれる風。魔物の首が落ち、霧の中に血が噴き上がった。ルイスとコナリー、二人の騎士が背中を合わせる。「左、任せる!」「了解!」息の合った連携が、霧の中を切り裂いていく。残った魔物が呻き声をあげて後退し、森の奥へと姿を消した。静寂が戻る。精鋭の兵士たちは剣を構えたまま、遥とノエルの周囲を固めていたが、戦闘の主役にはなれなかった。「すごかった……」呆然と二人の騎士を見つめるノエルの声に、遥は小さく頷いた。ルイスは軽く息を吐きながら、遥に笑いかけた。「無事で良かった」コナリーもまた、少しだけ肩で息をしながら、遥の方を見た。「力を……ありがとう。確かに届きました」遥は何も言えず、ただ頷いた。胸が、じんわりと温かくなっていた。そして、周囲を守っていた兵たちに、遥は微笑みながら言った。「みんな、ありがとう。おかげで守られた」兵たちは気恥ずかしそうに頭を下げる。「聖女様を守るのが、我らの務めです」四人と護衛は再び歩き出した。霧に包まれた森の奥を進むうちに、